48 Letter
48 手紙
本を読んでいるときはときが静かに流れると述べていたのは、吉田健一さんであっと思いますが、文学の中心はもうそれで尽きているでしょう。ですから私がここでさらに付け加えるのはその周辺のことに過ぎません。文学は防御になるというのが、私の結論です。何の防御であるかというと、心とかたましいとか人生とか、そんなふうに呼ぶものに対してです。
ここでいう文学とは、詩や小説で代表されるいわゆる文芸にとどまらず、ときには新聞の断片や広告の文面にまで及びます。戦争で兵士が、薬の効能書きを何回も読みなおしたという話を聞いたとき、戦争の悲惨さとその中でのかすかなやすらぎとが私の中で混在し、それと同時にその混沌の中からも私は文学の防御を感じとっていたのです。
私は、ここでは心ということばを使うことにします。文学は心を防御するのです。人の心は傷つきやすいものだと私は思っています。なにもなければ、多分容易に傷ついてしまうものではないでしょうか。文学が人の心を救うことができるかどうか、私にはよくわかりませんが、傷つきやすい心に一定の防御を与えることはできるのではないでしょうか。
河上徹太郎さんの『有愁日記』の中で、私が幾度か読み返したのは、マラルメやラフォルグの詩のことを述べていたところです。「シンバルを叩いたような秋」ということばを私は見なれた日本の澄明な秋に置き換え、自らの周囲にある黄金色の黄葉に対比していました。たわいないことと言えますが、それでもこのマラルメのことばが、ときに沈んだ私の心を引き立ててくれたことは確かでした。しかしもし私の心が沈んだままだとしても、このことばを通してひとつ秋が私の前に現前し、その実在感は、私が実際に見た秋の記憶と決して遜色のない印象を私の心に与え続けてきたのです。私の中の実在感はこの「秋」の経験にとどまらず、いろいろなことばを通してそこからの新たな実在感を私に与えてくれるのでした。
「天使の優しさで降る雨」と言ったのはラフォルグだったでしょうか。こうしたことばが私の心にひとたび定着すると、雨はいつもその優しさで降るのでした。単純と言えばこの上なく単純ですが、きっとこうした経験は誰にでもあるでしょう。それを私は自らの喜ばしい経験としてとらえ、大切にはぐくんで来たといえるかもしれません。両方のポケットを何回裏返しても、出てくるのは屑ぼこりだけだった私の数少ない財産がそうした断片的なことばの集積だったのです。
河上徹太郎さんからは多くのことを教えてもらいました。それらが青春の私の心を防御してくれたのです。葛西善蔵の「子をつれて」で父親がこどもと一緒にガラス戸を開けて食堂へ入っていくところは、私に限りない安堵感を与えてくれました。その安堵感のどこかに「子なるキリスト」の投影があったのかもしれませんが、そうした自己分析はいわばその論理性そのものに邪魔されて心のより深いところへは遂に行き着かなかったようです。 論理はときには容易に体系の一部に組み込まれるものですが、感覚はそのどこにも属さず中途半端なままにその主張を止めないでくれることがあるものです。文学はしばしばそのような役割を心の中で演じましたから、理詰めで説教する親のことばとは違って、部屋に戻って聞く聞きなれたカントリー・アンド・ウエスタンのように心に染みてくるのでした。
もしも私の若い心に葛西善蔵の「子をつれて」がなかったなら、私の心は近づいてきた任意の宗教に心動かされたかもしれません。その方があるいは幸せとなったかもしれませんが、私自身はそうした方向をとることなく、幾度も彷徨を繰り返しながら現在にまで来てきてしまったということになります。「子をつれて」の風景は私の心の中で未分化なまま、今も深い安堵感を私に送り続けてくれるのです。同様に「天使の優しさで降る雨」は冷たくぬれた私の心を、あたたかな優しい世界へと変えてくれたのです。
ことばは別に魔法使いではなく、マジックでもなんでもありません。それはひとつのメッセージを伝えて寄越すに過ぎません。ただそのメッセージは、画家が作り出す色彩が画面の奥から光をともなって輝き出すように、人の心にひとつの実在となって届くのです。往々にして未熟な自らが体験したこと以上の実在感をともなって。そういうメッセージのいくつかが重なると、傷つきやすい心はまるで頑丈なビーバーの巣のように、大きな熊からもその子を護ってくれるのです。どんよりとした空にシンバルの秋を感じ、子をつれたわびしい父が暗いはだか電球の明かりの中から至高の優しさを読むものに贈ってくれるのです。
文学がひとつの付加価値として防御能力を持っているというのは、以上のようなことなのです。
本を読んでいるときはときが静かに流れると述べていたのは、吉田健一さんであっと思いますが、文学の中心はもうそれで尽きているでしょう。ですから私がここでさらに付け加えるのはその周辺のことに過ぎません。文学は防御になるというのが、私の結論です。何の防御であるかというと、心とかたましいとか人生とか、そんなふうに呼ぶものに対してです。
ここでいう文学とは、詩や小説で代表されるいわゆる文芸にとどまらず、ときには新聞の断片や広告の文面にまで及びます。戦争で兵士が、薬の効能書きを何回も読みなおしたという話を聞いたとき、戦争の悲惨さとその中でのかすかなやすらぎとが私の中で混在し、それと同時にその混沌の中からも私は文学の防御を感じとっていたのです。
私は、ここでは心ということばを使うことにします。文学は心を防御するのです。人の心は傷つきやすいものだと私は思っています。なにもなければ、多分容易に傷ついてしまうものではないでしょうか。文学が人の心を救うことができるかどうか、私にはよくわかりませんが、傷つきやすい心に一定の防御を与えることはできるのではないでしょうか。
河上徹太郎さんの『有愁日記』の中で、私が幾度か読み返したのは、マラルメやラフォルグの詩のことを述べていたところです。「シンバルを叩いたような秋」ということばを私は見なれた日本の澄明な秋に置き換え、自らの周囲にある黄金色の黄葉に対比していました。たわいないことと言えますが、それでもこのマラルメのことばが、ときに沈んだ私の心を引き立ててくれたことは確かでした。しかしもし私の心が沈んだままだとしても、このことばを通してひとつ秋が私の前に現前し、その実在感は、私が実際に見た秋の記憶と決して遜色のない印象を私の心に与え続けてきたのです。私の中の実在感はこの「秋」の経験にとどまらず、いろいろなことばを通してそこからの新たな実在感を私に与えてくれるのでした。
「天使の優しさで降る雨」と言ったのはラフォルグだったでしょうか。こうしたことばが私の心にひとたび定着すると、雨はいつもその優しさで降るのでした。単純と言えばこの上なく単純ですが、きっとこうした経験は誰にでもあるでしょう。それを私は自らの喜ばしい経験としてとらえ、大切にはぐくんで来たといえるかもしれません。両方のポケットを何回裏返しても、出てくるのは屑ぼこりだけだった私の数少ない財産がそうした断片的なことばの集積だったのです。
河上徹太郎さんからは多くのことを教えてもらいました。それらが青春の私の心を防御してくれたのです。葛西善蔵の「子をつれて」で父親がこどもと一緒にガラス戸を開けて食堂へ入っていくところは、私に限りない安堵感を与えてくれました。その安堵感のどこかに「子なるキリスト」の投影があったのかもしれませんが、そうした自己分析はいわばその論理性そのものに邪魔されて心のより深いところへは遂に行き着かなかったようです。 論理はときには容易に体系の一部に組み込まれるものですが、感覚はそのどこにも属さず中途半端なままにその主張を止めないでくれることがあるものです。文学はしばしばそのような役割を心の中で演じましたから、理詰めで説教する親のことばとは違って、部屋に戻って聞く聞きなれたカントリー・アンド・ウエスタンのように心に染みてくるのでした。
もしも私の若い心に葛西善蔵の「子をつれて」がなかったなら、私の心は近づいてきた任意の宗教に心動かされたかもしれません。その方があるいは幸せとなったかもしれませんが、私自身はそうした方向をとることなく、幾度も彷徨を繰り返しながら現在にまで来てきてしまったということになります。「子をつれて」の風景は私の心の中で未分化なまま、今も深い安堵感を私に送り続けてくれるのです。同様に「天使の優しさで降る雨」は冷たくぬれた私の心を、あたたかな優しい世界へと変えてくれたのです。
ことばは別に魔法使いではなく、マジックでもなんでもありません。それはひとつのメッセージを伝えて寄越すに過ぎません。ただそのメッセージは、画家が作り出す色彩が画面の奥から光をともなって輝き出すように、人の心にひとつの実在となって届くのです。往々にして未熟な自らが体験したこと以上の実在感をともなって。そういうメッセージのいくつかが重なると、傷つきやすい心はまるで頑丈なビーバーの巣のように、大きな熊からもその子を護ってくれるのです。どんよりとした空にシンバルの秋を感じ、子をつれたわびしい父が暗いはだか電球の明かりの中から至高の優しさを読むものに贈ってくれるのです。
文学がひとつの付加価値として防御能力を持っているというのは、以上のようなことなのです。